芦北町

2023年12月31日

私は、故郷が大好きだ。年を重ねる度に恋しくなる。

コロナ禍の影響も有り、もう5年位帰省していない。 特に伏木氏の猫の窪に有る展望広場からは、御立岬、不知火海、天草諸島、好天の日には雲仙普賢岳まで望める。 最高に癒しになる風景である。辛い時は、この風景を良く思い浮かあべる。 私は、熊本県葦北郡芦北町大字伏木氏に高校を卒業した1973年3月まで住んでいた。 伏木氏は、町から山越えの山道で約4.5km、車道で8km程、離れた所に20戸の集落が有り そこから約1kmの所に6戸の集落が、私が高校生の頃まで有った。 私が、子供の頃は、各家庭に子供が5人程いて、遊ぶ場所が無いほど活気が有って賑やかだった。 遊ぶ場所は、下のお堂、上のお堂、分校、各家庭の庭及び道路であった。当時は、滅多に車が通らないので 道路で陣取り等をして遊んだ。稲刈り跡の水田でも良く遊んだ。お堂については、夏休みに1週間毎に 小中学生で、掃除を行った。子供が村のお堂を掃除するというのは、良い慣習だったと思う。 夏休みは、町内の地区毎にソフトボール大会(小学生4人、中学生5人)が8月10日頃に実施される為、 10時~12時までは分校の狭いグランドで練習だった。狭いためフェンスを越えて水田やみかん山、山に 飛んでしまうので、よくボール探しをしたものだ。午後は、集落から下に歩いて15分くらいの所に丸渕という 滝つぼが有り、そこで泳いだ。大勢で泳ぐ為、すぐに泥水になる。それでも面白くて皆キャキャ言いながら 泳いだ。海水浴も地区の恒例行事で、山越えして1時間程かけて海の浦まで行き家族も一緒で大勢で楽しんだ。 小学3年生までは、佐敷小学校伏木氏分校に通っていた。先生は一人で、この村出身の田中先生だった。 私が1年生の頃は、1年生が7人、2年生が4人、3年生が4人であった。 先生が一人の為、黒板が学年毎に有り、順番に授業を受けて。屋外学習も多く、自由奔放な時間を 3年間過ごせて田中先生には感謝している。運動会の練習の時だけ1週間くらい本校で各クラスに 入り授業を受けた。人数の多さにビックリで少しおじけづいた。分校生は弁当だったので 皆が食べている給食が美味しそうに見えて羨ましかった。 4年生から高校3年生まで坂道を峠越えして本まで通学した。お陰で少しは足腰が強くなったと思う。 峠と峠の手前にお地蔵さんが居て、毎日行きは「行ってきます」 帰りは「ただいま」と言って挨拶していた。やさしい顔をして、辛い事が、あってもいつも見守ってくれている ような気がして心強かった。今まで運が良かったのは、このお地蔵さんとご先祖様のお陰だと思う。20年程前に 私が4年生の頃は、1クラス49人で3クラス有った。5年生から4クラスになったが、今では信じられない くらいの人数である。今では、信じられないが、ふるさとの歌詞のようにウサギ狩りという行事が有った。 前日までに兎追いする棒を切ってきて、早朝から上級生が皆で並んで棒で地面を叩きながらウサギを追うと 上の方で、網を持って待ち構えていて捕まえる。 私が、中学生になった頃の1968年頃は、構造改善事業で山林を甘夏みかん山に変えて集落中が甘夏みかんの 栽培が盛んになり、村の人口も増えて若者も多く一番活気があった様に思う。よく手伝ったものだった。 夏休みに村内で3チームに分けてバレーボール、ソフトボール大会があった。今では信じられない風景である。 しかし1991年からオレンジの自由化により 甘夏みかんの栽培は衰退していった。現在では芦北町でデコポンが栽培され食べ易くて美味しいので人気がある。

30年程前から伏木氏地区では、子供の声が聞かれなくなった。私が子供の頃は、小学生と中学生で40人程で遊ぶ場所が無いほど賑やかで子供の声が、村中に響き渡っていたのに帰省すると信じられないくらい静まり返っている。20年程前に帰省した折に9年間通った坂道を懐かしく思い坂下の麓まで歩いた。藪道になっていて蜘蛛の巣や藪を払いながら何とか麓まで下りれた。メチャ懐かしくて通学していた頃を思い出して感慨深かった。伏木氏地区も30年後には、どうなっているのだろうと思うと寂しくなるが、故郷を懸命に守っている高齢者の方には感謝の気持ちで、いっぱいです。

69才になって思う事は、自分のルーツを祖父母や両親に最聞いておけば良かったなあと思う。2008年に77才で亡くなった際、何か記録が無いか探していたら昭和20年代頃の日記が見つかり、当時の事が少し分かるようで嬉しかった。私も就職した18才から日記を付けていて、記憶は曖昧であるが日記は人生の記録なので、続けて良かったと思う。

父は、肥後狂句が趣味で昭和35年頃から投稿し入選句が300句を越えたので小冊子にまとめたそうである。面白い句が沢山有り時代背景も表していて凄いなあと思う。その冊子の写真をブログの最後にUPしました。

この故郷のブログをUPするに当たって迷ったが、少しでも子供や孫の世代に記録として繋げられたらと思う。

自分の今迄の年月は、人との出会いに恵まれ支えられて繋がって来て好きな事が出来て面白く楽しい人生だったと思う。本当に出会えた人、家族そして自然に心から感謝している。

今、年月を重ねて思う事は、仕事も趣味でも、しんどさは面白さ、楽しさ、そして達成感に比例していると思う。これからも子供心の好奇心を大切にして、仕事も趣味も全力で楽しみたいと思う。

何事も一生懸命やった方が、楽しいし面白い人生になると思う。

素晴らしく癒される自然に囲まれた故郷が永遠に残って欲しいと願うばかりである。